最近僕の生活で大きく変化したことがある。

それはと言うと昼食に「やきそば弁当」を食べなくなった事だ。

最近彼女が病院で検査を受けると「血糖値」が上限値を超えており、20代にして「糖尿病」を言うありがたくない疑いがかけられた。風月で「お好み焼き」を食べながら「もう、食生活から見直さないといけない」と隣で女子高生がキャピキャピと携帯片手にお好み焼き、もんじゃ焼き、オム焼きそばと頼むなか、やれソースは駄目、コレステロールが云々、悲しくなって来るが、風月のスッタフのおばちゃんの言葉が血糖値が高くない僕のやきそば弁当を取り上げた。

おばちゃん曰く、ペットボトルのお茶はその味を出すのに2年掛かることがあるとの事。その間、一体どんなモノがあのペットボトルの中に入るのか?

健康の為に、伊右衛門を飲んでた僕の立場はどうなる?と鉄板をジューしたくなったが、真偽とは別に食生活を見直さざるを得なくなってしまった。散々言われているけれど、僕は食生活がひどい。焼きそば弁当とは、高校のバイトからだから7年の付き合いである。たまにじゃない。仕事(バイト)の時の昼食は常にやきそば弁当を共にあった。辛く泣いた昼休みもあり、可愛い女の子と談笑しながらの昼食もあった。いろいろあったが、やきそば弁当だけはいつも開封されていた。

今、惜別の時である。

さらばやきそば弁当

さらば、生活習慣病

嫌われ松子の一生

この映画をコメディのミュージカル映画と見るか、ヒューマンドラマと見るかで評価は変わってしまう。この嫌われ松子の一生は感動してしまう。男に依存した果ての行きつく先には笑ったが、それも含めて涙なしには見れないのである。女の人は体験として共感するだろうし、男の人はそんな女の人に入れ込んで、涙を流すはずだ。

「振り向いて欲しいとする行動が行きすぎると、最初は誰もが親身に態度で示してくれるが、だんだんと引いてしまう」

「幸せ」にイコールで結ぶ答えは分からないが、この結末は見るに耐えない。それを飽きさせることなく時にはシュールにコミカルにみせたこの映画の技術は高いが、この映画をみせてはいけない人は多いのでなかと思う。

今日は日曜日。昼食に一度起こされ、スパゲッティを食べて二階の自室に戻り布団に入る。昼にJリーグの中継があるからそれまで寝ようと思い、起きたのが17時。そもそも日曜は資格学校に行かなければいけないから、7時には起きなければ行けないから10時間寝過ごしたことになる。

こんな自由は3ヶ月ぶりだった。彼女と同棲を始めたのが3ヶ月前。日曜日は必ず外出していたし、子供もいるから子供というのは恐ろしい事に日曜日に限って早く起きる。彼女が仕事を辞め鬱病になり、入院したのが1週間前。僕にとっては久しぶりの何もない日曜日(イヤ、学校はあるんだけども)となった。

夕方に起きて、風呂に入り夕食を食べる。本当に何もする事がない。一人とは、する予定がないとはこれほどまでに詰まらないと思い出させてもらった。する事が無いので、レンタルビデオを借りて酒のつまみをコンビニで買う。その道中、空を見上げる。はっきりと思い出した。彼女がいなく何もなかった数ヶ月前、僕の日曜日は毎週こんなのだった。声にも思考にもならないモノ。

美しく、会社にも評価され、社外の人にも慕われていた活発な。

毎日泣きつかれ、自殺未遂を繰り返し、酒に溺れた僕の彼女。

翻弄されたが僕は生きていた。ウンザリしていたが、今は面会すら許されない。